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PICやAVRのマイコンに出会って趣味にするようになるまでの、なんてこと無い記録です。

小学生~中学生時代

ゲームセンターにタイトーのスペースインベーダーやナムコパックマンが登場。私の小学生時代はそんな世代です。 家庭用ゲームといえばゲーム&ウォッチやゲーム電卓、やがてカセットビジョンが登場ファミコンはまだまだ。 小学校の学級文庫にはなぜか常にコロコロコミックの最新刊が置かれていて、みんなでゲームセンターあらしを 回し読みしていました。まぁ、クラス内でゲームがブームだったんですね。 当時私が一番填まったのはクレイジークライマーというビルをひたすら登るゲームで、当時のお小遣いの半分は このゲームに消えていました。

そんなゲームに填まってた小学生時代、クリスマスのプレゼントを買ってもらうために秋葉原に。そこでたまたま 目にしたのが、タイプライターに接続された白黒テレビの映像。なんと!タイプライターでパックマンやって遊んでいるじゃ ないですか!「ありゃなんじゃ!?」

…衝撃的でした。ゲームセンターでもないただの電気屋で、しかもなぜパックマンがタイプライターで???

当時、雑誌「子供の科学」をちょくちょく読んでいたんですが、その”事件”から暫くして、「マイコン」に関する記事が 載り、どうやら世の中には「マイコン」というものが存在しているらしいと知りました。しかも、マイコンというのは これまでのゲームと違って、自分でプログラムというものを作れば、色んなことをやって遊べるらしい…

そうか!パックマンをやっていたあのタイプライターは、実はマイコンだったのか!!!(注:今で言うパソコンですが、 当時パソコンという言葉は無く、マイコンと呼ばれてました。なお、あとになって思い出すとあのタイプライターの正体は 多分シャープのMZ-80Kだったろうと思います)

さっそく両親に、世の中にはマイコンというものがあり、プログラムを入れ替えるだけで色々なことが出来て、 すごいんだぞ云々…と熱く語り、買ってよ買ってよと頼んでみるも、けんもほろろ。両親の世代ではコンピュータというものは 素人が触ってはいけないようなものだと思っていたようです。(いまでも父はテレビとビデオの違いが区別できていないほどの音痴。)

うーん、説得した相手が間違っていた… でも、コンピュータの本だけは1冊買ってくれました。BASICの入門書でした。

中学校に入ると、クラスのうち何人かが既にマイコンを持っていたり、持って無くても趣味にしていたりといった感じで、 そんな中「マイコンBASICマガジン」っていうのが創刊されたよ!と友達から教わりました。いわゆるベーマガです。 それ以降しばらくは掲載記事を近所のスーパーに置いてあるPC-8001やPC-6001、JR-100などを友人で占拠し、 毎日のようにベーマガを入力してゲームで遊んだり、オリジナルのゲーム作ったりして遊んでました。「ゲームをやるのが楽しい」から、 徐々に「ゲーム作るのが楽しい」に変わってきた時期でした。

このころはまだコンピューターは人々に知られ始めたばかりの頃で、なんというか、まだまだ発展途上にあって、 言ってみれば無限に広がる可能性をたかだか数十キロバイトしかないRAMに夢見させてくれていたのです。そいういえば、 携帯電話(celler phone)の仕組みをなんとなく思い浮かべていたのはこの頃でした。仕組みは今の携帯電話と全く同じ なのですが、問題はコスト面で…。「いやいやいや、そんなの実現化されるなんて、しばらくは手塚治虫の世界の中だけだよ」と 思っていたんですが、まさか大人になったらそれが生活必需品になっているとは… 驚きです。

…まだまだ続きます…